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滝廉太郎記念館

 全国の音楽の教科書に載っていた有名な「荒城の月」の作者であり、少年時代と病床時代をすごした竹田での遺品が残る滝廉太郎記念館の紹介です。
 滝廉太郎は20歳で「花」21歳で「荒城の月」23歳で死去された若き音楽家の育った家で、現在竹田市が音を感じる家として新しく試みをしているようです。色々な音が(自然の音)楽しめる設計となっているようです。
 竹田には滝廉太郎に関係のある場所が多々あり、滝廉太郎トンネル、岡城跡など様々にあり、資料館を覗いた後、他のゆかりの地へ行ってみても面白いですね。小さいときに習った、そして聞いた音楽が流れてくるかもしれませんよ。
 それと、何年か前に滝廉太郎がテレビ化されたときの役者さんのサインやパネル展なども滝錬太郎資料館に展示されていましたのでご一緒儀ご覧ください。あっ入口の門の脇に1つ面白い花があるんです。ここにしかない花が

 入館料 300円

滝廉太郎が住んだ家   
 資料館は昔滝廉太郎が住んだ家を改築して現在の資料館にしたそうです。滝廉太郎縁の地と会って、この家には色々な音の仕掛け(自然の仕掛け)がありました。
 是非探してみてください。


 
   滝廉太郎縁の
 離れには滝廉太郎の部屋が再現されていましたが、バイオリンしかなかったのが驚きでした。
 庭にはメンデルゾーンと言うバラが咲いていました。メンデルゾーンとは音楽家の名前でこのバラは日本にここでしか見れないそうです。

◎ 滝廉太郎資料館までのアクセス ◎